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2016年08月16日

天命は文章に関わって生きていくこと

中国史ファンなのでつい「天命」なんて言葉を使ってしまいますが(照)、
普通に言えば「自分は何のために、何をするために生まれてきたのか」ということです。
おそらくこれは、若い人はもちろん誰でも何度も考えることでしょう。
ぼくももちろんいろいろ考えました。
これでも中学生、高校生の頃はテレビのディレクターとか声優とかにも憧れたんですよ?(笑)
小学生の頃はマンガ家にも憧れたし、小学二年生だったか、
夏休みの自由研究でドラえもんのマンガを一作描いて
(ケント紙とか「カブラペン」とか使って!)
提出したこともあります。


だけど結局はどれも長続きしなかったな。
ディレクターや声優さんはほとんど思いつきに近いものだったし、
むしろマンガ家の方がマジメに考えていたくらいかもしれない(笑)。
だから高校生の途中くらいからは「サラリーマンになって60歳くらいで死ぬ」とか、
若い頃にありがちなシニカルな思考に陥っていました(苦笑い)。


その後は大学受験に失敗し、ニートになり、
まともとされる道には一切入れず(入らず)ここまで来てしまいましたが、
その中でもずっと続けてきたことが、文章を読むことと書くこと。
主に小説だったけど(マンガもだけど(苦笑い))、
30代以降はもともと好きだった歴史関係の本もよく読むようになって、
特に中国史が大好きになった。
今は古代ローマとか中世ヨーロッパとか中央アジアとか
違う地方へも気持ちは動いているけど、それはそれで全然問題ない。
もっといろんな国(というより地域)の歴史を知るには、
人生すべてを使っても足りないくらいですから。


とにかく「文章」と「歴史」がぼくの中では、二つの重要なキーワードになっています。
子供の頃からこの二つには、ストレスを感じることがなかった。
ありていに言って性に合ってるってやつでしょう。
中国史に特に興味を持ったことも、ぼくの中では象徴的です。
中国は文字の国ですから。
あれほど「文字にして遺す」ということに固執してきた国は、ぼくの中では他に知りません。
古事記や日本書紀だって、中華帝国の通史をマネて編纂されたそうですから。


まともと言われる道を歩いてきてたら、きっとあんなに本は読めなかったし、
これほどいろいろ書く時間も気力もなかったと思います。
だからきっと、この天命に出逢うために、
この道を歩くように導かれてきたんだろうなと感じています。
今は天命をそのまま歩ける道を模索中で、
まだ見つかっていないのがつらいんですが(苦笑い)、
でも探すのも見つけるのもあきらめる気はありません。
その道も、小説という形も取りたいんですが、
最近はもっと違う形もいいんじゃないかと感じてきています。
その形が見えないのでどうしようもないんですが、
小説を書きつつ、そちらの「形」でも世の中に発信して貢献して、
そして自分の行きやすい型、働きやすい型で生きていければ
本当に最高だと思っています。
  

Posted by ちえ at 14:42Comments(0)